アート旅ブログのマチです。
今回は平塚市美術館へお出かけ。今年に入って3回目の訪問。好きな美術館には足繁く通うマチ。



展覧会
生誕100年 中村正義展 ーその熱と渦ー
愛知県豊橋市生まれ、子どもの頃から病弱で美術学校に通うことができなかった中村正義。1946年に日本画壇の重鎮中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選。
その前途を嘱望されたが、1961年には日展を脱退し、破天荒な画風に転じ自分のスタイルを追い求めた。
旧態依然とした日本画壇に抗し日本画の概念を覆すようなアバンギャルドな作品を制作し続けた。
それと並行して、同時代の作家とも深く関わり「日本画研究会」「人人会」など立ち上げたり、若い画家を支援したり様々な人と交流した。
今展覧会では、中村正義代表作を中心に関連作家の作品も鑑賞することができる。


いつ見ても、優美な階段のアプローチ。


計算された構図。竹の葉が風にさわさわと音をたてる情景を想像する。
2匹の黒い蝶は亡くなった父と母を投影しているのか。
初出品した日展で入選した作品。当初日本画の基本的なスキルを習得していた時期のようだ。
その後、日本画は時代から乖離していると戦後の日本画滅亡論がささやかれ、正義は新しい日本画を追求するために、朝倉摂、高山辰雄が所属する「一采社」に入る。

1950年の意欲作。洋画の要素を取り入れた画法で描かれた人物に対して背景は油彩のパレットナイフを使い描いている。
今作で日展の特選を受賞した。

一人目の妻をモデルにした作品。帯の花が画の中心にくるように描かれている。

正義の自宅付近(豊川沿い)の風景。夕陽の色に試行錯誤を繰り返したそうだ。
グラデーションが美しい。

病気のため4年間のブランクが空いた後の作品。画風ががらっと変わっている。
<女><舞妓><舞子>の舞妓三部作のうちのひとつ。
背景の赤、襦袢の赤が強い気持ちを表現しているようにみえる。無垢なものと成熟したものをあわせもっている。モデルはお手伝いのふうちゃん。

きらびやかな衣装、背景に反して、舞妓の目は赤く、強い意志を表しているように感じる。
悲し気な目にも見える。

様々な見方ができる作品だ。
名古屋の萬松寺からの依頼で大森運夫、平川敏夫の助力をえて制作された作品。
同寺が不動明王を信仰してきたことからこのように描かれている。
風の描き方が特徴的でとても良い。

輪郭がはっきりしないことで人物の心情が背景ににじみ出ているように見える。
美しいだけが女性ではなく、心情は複雑であるということか。関心は内面に向かっている。
正義はこの作品で日本画の画材だけでなく、ボンドや蛍光塗料も試している。髪飾りは紙で作りコラージュしている。

日展から脱退後、違うジャンルに挑戦したことで手掛けた作品。
1964年映画「怪談」の第三話「耳なし芳一」のために挿入画を依頼されて五部作を制作。
壇ノ浦の戦いを俯瞰したもの。
細かく描くこんでいる。今作でも速乾性のボンドを使っている。



塗り重ねられたマチエール。見ごたえがある。
生き物がうねるように見える。または、波濤。細部に注目したり、俯瞰して眺めたりして鑑賞することができる。

正義の自画像ではないかと感じる。もう一人の自分が背後に。

正義最晩年の作品。4年の歳月をかけて繰り返し加筆を行った。
白く浮かびあがる顔、その表情がもの語っている。今作が遺作になる。
まだ描きたかったにちがいない。

毎日2回 ドキュメンタリー映画が上映されている。
自分に真摯に向き合った正義の歩みがよくわかる。鑑賞券を購入していれば映画は無料。
後半の展覧会は次回のブログ 中村正義展 Part2を参照ください。
中村正義展、5月18日(日)まで。
館内彫刻

いつもお出迎えしてくれる三沢さんのユニコーン。
のみの彫り痕も鑑賞できる。巨大アニマル彫刻。ほっぺの膨らみが可愛い。


ほっぺと言えば、平美の帰りに「ぺこちゃんのぽっぺ」を買って帰ろう。
アクセス
☆JR平塚駅から徒歩で約17分。天気のいい日は平塚八幡宮にお参りがてら歩くのがオススメ。
☆JR平塚駅 北口バスターミナル4番乗り場 神奈中バス 美術館入口下車
☆小田急伊勢原駅南口 神奈中バス平塚駅行き 美術館入口下車
☆小田急秦野駅南口 神奈中バス平塚駅行き 横浜ゴム前下車
近隣立ち寄り

平塚八幡宮に隣接する洋館。


ミニ薔薇の咲く中庭が良いなぁ。


今年は寒の戻りがあったから、長くお花見ができた。
なごりの桜を楽しむ。
アートっていいなぁ。今日も心豊かに。
